猫柳 影千代
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2009年4月25日生まれ 通称カゲちゃん
猫柳竹千代と同腹の兄弟。2010年7月2日(没)
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幸せ沸点が低すぎて、我が家に来てから4か月で虹の橋を渡って行ってしまいました。5月の終わりに高熱を出しており、病院へ行き抗炎症剤、解熱剤を処方されるもなかなか良くならず6月に入ったころFIP(猫伝染性腹膜炎)かもしれないとの診断。のち血液検査により確定。ドライタイプでした。今もまだ完治のための治療の確立されていない病気で当時はさらに情報も乏しく…約1か月の闘病でした。
出会った時の事
出会った当時は「まことちゃん」と呼ばれていて、某保護団体主催の譲渡会に「ハムくん(のちの竹千代)」と一緒にいました。周りはかわいい盛りの子猫や触れるタイプの大人ネコがいる中、展示用のケージの端っこに置物のごとく固まっていました。
私は譲渡会自体参加が初めてで様子だけでも見ようと訪れたのですが…「お留守番が長いから子猫ではなく中~大人ネコ」「出来たら仲良いコンビ」「触れる子」というのがおぼろげに考えていた条件でした。 まさにその条件をぴったり満たしたこの子達にいきなり出会ってしまったのです。ネコストーリーは突然に…
ペットショップ方式といいますか…まんまと「抱っこしてみますか」の言葉に誘われて、ケージから出してもらい、上手に抱かさるまことちゃん。しかもばっちりカメラ目線w抱っこはさせてくれたけど初対面で恥ずかしかったのか落ち着かないハムくん
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運命の言葉
その時、対応してくれたボランティアさんがこういいました。「この子達、シェルターでは超甘えん坊で抱っこも大好きなのに、譲渡会だと緊張しちゃって絶対に触れないの。だから…かわいい盛りが過ぎちゃってね (当時8-9か月) …譲渡会で抱っこさせたのあなただけですよ」
初めての女
さすがに初めて参加した譲渡会でいきなりこの子達を飼おうと思う所まではいかないし、様子だけ見て帰ろうと思っていたのに…まさかの…運命の出会いなのかしら…?!え?!え?!
ちょっと混乱してきたので、いったん退室させてもらい、考えさせてもらうことに。
だけど、考えるために立ち寄ったファミレスで考えていたことは…
「あの子たちの名前何にしよう?!」でした(;’∀’)
まことちゃんもハムくんもあんまり洋風なお顔立ちじゃなかったから和風な名前がいいね
あ、そういえば忍者ハットリくんに白黒の猫が出てくるな…あの子の名前何だっけ?
「影千代」だ!!いいね!忍ネコwてことは…なんか似た名前がいいなぁ…響き的に合わせるなら…「竹千代」!!
…ということで、まだ正式に決定もしてないのに名前だけ先に決まっちゃいました。
(ちなみに、竹千代が徳川家でよく使われる殿の幼名だと知るのはのちの事→語感だけで決めたw)
結局…
踵を返して譲渡会場に戻り、譲渡の条件や書類の記入などを済ませ、まさかの一発勝負で家族になることを決めました。
戻る道すがら、これまたまさかの車の自損事故(塀に突っ込んでった)を目撃してしまい、あーこの出会いにはなんか在るんだろうなって予感してました。
我が家に来る!
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とんとん拍子に譲渡が決まり、我が家にお届けしてもらう日が来ました。
春雷が轟き突然の大雨が降ってきたかと思いきやすぐに止み…そんなこんなしている家に、キャリーに入った二匹を受け取り、譲渡誓約書の取り交わしなどをし、いざ解放!
すると…物怖じもせず我が家の探索を始め、なんなら来る前の春雷よろしく大音量の喉ゴロを轟かせながら闊歩し始める二匹…
この喉ゴロは約2日間続き本気でなんかの病気じゃないかと心配になり団体代表に電話してしまったほどw
それだけずっとのおうちが出来て嬉しかったんだと今となっては思います。
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その後
普通…と言ってもネコそれぞれあるようですが、団体代表曰く環境が変わると引きこもりご飯を食べない、トイレをしない、など変調を来すこともあるので、あまり構いすぎず様子を見てあげて、とのことでした。我が家に二人を迎えるまでにネコの飼い方本など読み漁り、とりあえず最低限必要な生活物資などをそろえ、手探りしながら二匹との生活をスタート。
だけど、びっくりするほど、家に慣れる慣れない言う前にがっつりくつろいでゴハンももりもり食べ、出すものも確り出しなんなら私のそばから離れずずーっとゴロゴロ言ってて、拍子抜けって言うか、ネコって…こんななの⁈とこっちがびっくりしてました。
…これがかなり規格外(慣れの速さも体格も)の二匹だったと気づくのは、5-6年後の事でしたw
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写真の通り、中々一気に賑やかになった我が家でしたが、先に書いた通り影千代に病魔が襲います
正直治す方法もなぜ罹患するのかも不明な病気。聞いたところによるとこの兄弟の他の一匹ももしかしたらこの病気だったかもと。正直その子は小さすぎてあっという間で確認のすべはなかったそうですが。とにかく初めて一緒に暮らした子をこんなにも早く亡くすことになるなんて夢にも思ってなくて、でも悲観してる間もなくとにかく出来うること全てをやったつもりです。
旅立った日…
まだ梅雨も明けきらないのに晴天で暑くて。前日位からトイレに起きるのもやっとで、たぶん跨ぐ力がなかったのかな…トイレ周りに敷いておいたシーツにおしっこしてあって。でも最後の最後まで頑張って生きようとしていたね。午前中に病院へ行って診てもらったけど、あとは楽に過ごせるように酸素室を貸し出しますか?など最後の緩和ケアの話をされました。 もうしてあげられる事はないのだろうとぼちぼち覚悟もしてました。
行きの道も帰り道も「早くおうちに帰ろう」ってずーっと鳴いてたね。
お家について当時の同居人に帰りに人用ので良いから酸素ボンベを買ってきてほしいとメールしたあと、お膝にのせたり苦しくないようにベッドに寝かせたり…している間にその時が来たね。
「ヒクっ」っと痙攣したなと思ったら、そのままスーッと力が抜け、息が止まっていきました。
嘘だと思いたい気持ちと、もう苦しいのは終わりっていう気持ちと、何もできなかった自分と…なんかいろんな感情がごちゃ混ぜすぎて、とにかく涙が流れ続け…少ししてからは意外と淡々とその後の事をしました。
竹千代にカゲちゃん逝っちゃったって報告したり、同居人にもう酸素は要らないよ、と連絡したり、ペット葬儀屋を探したり、ちょうどよい段ボールがあったからベッドと一緒に入れて使ってた首輪とか入れて整えたり…
急いで帰ってきた同居人と共に葬儀屋さんで火葬してもらって、あっという間にお骨になってお家に帰ってきました。
さすがの竹千代もなんか察したのか不思議そうな顔をしつつ、その日はちょっと静かだったかな。
ペットロス
竹千代が居てくれたからそんなに感じてはいないと思っていたのだけど、しばらくは「あの時」の事を思い出しては夜中においおい泣いたり、彼がなぜ死ななければならなかったのか。自分じゃない誰かのお家に居たら病気になんてならなかったんじゃないか…など自分を責めたりする事も多かったです。また、二匹を譲渡してもらった団体のお手伝いを始めて、その頃はなんだかとにかく償いの気持ちがずーっとありました。
もちろん日常は流れていき、お手伝いしながらちょっとずつ回復はしていった。そこで我が家の三匹目となるミミちゃん(後の三千代)との出会いもあったりして。
そして、あ、この感情は終わったなと感じたのは彼が亡くなってから5年が経っていました。どうやってこの感情から抜け出したのかというと…